2005/08/15/

写真をアップ!

過去の記事にもさかのぼり、写真を何枚かアップしました。
posted by ayako at 21:36 | デリー 霧 | Comment(27) | TrackBack(4) | おしらせ

カタカリ・ダンスを見てきたよ

思いがけず、カタカリ・ダンスを鑑賞することができました。

インド通の同級生に、ケーララに行ったらぜひ見てくるといいよ、
とお勧めもされていましたし、
わざと目を充血させたりするすごい化粧らしい、
男だけで演じる、ノンバーバルなドラマらしい、
などの情報も得ていて、ひそかに興味津々だったところ、
調査の助手をしてくれる現地の院生が
「明日の夜、ショーがあるらしいですよ」と、ナイスなタレコミをくれたので
迷わず出かけることに。

ガイドブックによると、普通、観光客向けのカタカリショーは、
メイクアップを別にして、一時間半程度のことです。
私が昨夜行ったのは、地元の公民館で行われた
現地の美大生のためのワークショップ。
なんと、一話三時間から四時間のものを、一気に三話
オールナイトで上演する、本格的なものでした。
せっかくケーララまで来たんだし、ちょっと観光的もできたらいいなあ、
くらいの軽い気持ちでカタカリダンスを所望した私は
初心者にしていきなり本格的なカタカリ体験をすることになりました。

着くと早速、控え室に連れて行ってもらいました。
蛍光灯に加えて、裸電球がぶら下がり、
役者たちは真剣にメイクアップに取り組んでいます。
CIMG6826.JPG
これこれ。
この緑の顔がカタカリのイメージでした。


見ていると、バナナの葉をパレットにして、
筆には竹串や、布を巻いた指などを使い、
時には繊細に、時には大胆に、顔を描いていっています。
CIMG6859.JPG
この人は女形。
結構美形。


一人の役者が下まぶたをちょっとつまみ、
眼球に小さな黒い塊を入れました!
これがうわさの充血メイク!
「何を入れたの?」と聞くと、
厚化粧のせいであまりしゃべってはいけないのか
ぼそりとひとこと、
「マシマシ」。
なるほど。

一方で、別の役者が、あぐらをかいているスタッフを枕に
ごろりと寝そべりました。
カタカリの役者には、役によって白いエラのような部分があるのですが
なんとそれは、一回毎に、それ専用の技術者が
画用紙を切って、役者の顔に貼り付けているようです。
役者の顔の形、肉のつき方などに合うように、
微妙なラインを何度もはさみを入れなおして
作り出していきます。
まさに職人技。
CIMG6875.JPG
「エラ」の微調整。

そのうち、化粧を終えて衣装を着ていた役者たちの
準備が整ったので見に行こうといわれ、
控え室を出て公民館の裏庭のようなところへ。
するとそこには、完璧なメイクを終え、
きらびやかな衣装を着け終えた役者が
堂々とスツールに座って、鏡を覗き込みながら
最後の微調整をする姿がありました。
CIMG6896rotate.jpg
出番前のひと時。

モンスーン期の熱帯の湿った夜、
闇の中、裸電球で浮かび上がるその姿には、
思わず息を呑んでしまいます。

しばらくして、パフォーマンスが始まると告げられ
ステージの前に移動。
小さな公民館での上映のため、
観客も50人足らずほど。
プラスチックのいすが並べられ、
子供がその辺を駆け回り、
老若男女が上演を待ちます。

外国人ということでか、遅れてきたにもかかわらず、
椅子席の最前列をあてがっていただきました。
今日のメインゲストである美大生たちは、
いすの前にしかれた敷物にじかに座って、
一番前での鑑賞です。

そのうち、太鼓と小さいシンバルのような楽器での演奏、
そして歌が始まりました。
緞帳などももちろんないので、大きな布を、
比較的背の高いスタッフが広げて、場面転換に使っています。

そしてついに上演が始まりました。
開始は聞いていた予定より一時間半ほど遅い9時20分。

役者たちは微妙な指使い、まなざし、目配り、頬の肉の動きといった
わずかでかすかな動きによって、実に豊かに感情を表現しています。
かとおもうと一転、すばやいジャンプを伴う踊りで
激しい感情の起伏も表現されているようです。

主な登場人物が、クリシュナ神、アルジュン、ブラフマン夫妻
ということだけを聞いて、
まったくわからないままに推理したストーリーは、
@ブラフミンの子供が死んでしまった
A生き返らせてくれるよう、神様(クリシュナ)に頼む
B神様は逡巡しながらも子供を生き返らせる(新しい子供を与える)
C喜ぶブラフミン夫妻→めでたしめでたし
というもの。

驚くべきことに、この推理、ほとんど合っているそうです。
ただし、これだけの単純なストーリーを演じるのにほぼ4時間。

第一話の上映が終わったのは日付が変わり、独立記念日になってからでした。














posted by ayako at 21:14 | デリー 霧 | Comment(0) | TrackBack(0) | kerala

2005/08/14/

トリシュールの町で

おととい、ケーララ州に到達しました。
コーチンに一泊して、そこから列車で一時間半ほど北上した
トリシュールという町に昨日から滞在しています。
これから十日間ほど、この町を拠点に調査を行う予定です。
CIMG6772.JPG
ケーララといえばバナナ!
駅の売店にも枝がぶら下がっています。
小さいのは一本2ルピーでした。
お金を払って、よさそうなのを枝からむしり取って食べます。


ハイデラバードが、イスラム色を強くもちながらもヒンドゥー多数派の町だったのに比べ
ケーララ州は、ヒンドゥー、ムスリム、クリスチャンの割合がほぼ三分の一ずつ。
また、ハイデラバードでは、地元民は州外からやってきた人と
ヒンディーで会話していたのに比べ、
ケーララ州では英語が使われているなど、随所に違いが見られます。

列車が駅にとまったときにやってくる物売りも
「チャーイ、チャーイ」のチャイ屋から、
「カーフィ、カーフィ」のコーヒー屋に変わりました。

何よりも地図を見ると、ケーララ州は文句なく南インドです。
トリバンドラムからデリーまで、列車で行くと、
特急のラジダニでも40時間以上かかるそうですから!

CIMG6755.JPG
昔ながらの家は瓦屋根のようです。
靴を脱いであがるお店もあったりして、
日本人としては親近感を感じます。


北インドと南インド、食生活や言葉や、人々の性格の違いはもちろんのことなのですが、
南インドにきて、私がいいなあ、おもうのことのひとつは、
ルンギーをはいている男性が多いこと。
ルンギーというのは一枚布をスカートのようにして着るボトムです。

北インドでは、荷物運びなど、どちらかというと身分の低そうな人がこのスタイルだった気がしますが、
南インドでは、誰も彼もがこれを履いています。
(もちろん、ズボンをはいている人もいます。)
暑いときはたくし上げて膝丈スカートにしたりして、快適そうです。

気のせいか、ケーララでは、インド人と日本人である私との境界もそうですが、
インド人同士の見えない境界をあまり感じません。
リキシャーのドライバーが、道に立っているそこそこ身なりのよさそうな人に
フランクに話し掛けて道を聞いたり、
今回私の調査のアシスタントをしてくれる院生が、三ツ星ホテルのジェネラルマネージャーの親友だったりします。

そんなこんなで、ルンギーの絶妙なドレープが、南インド人の人間関係のおおらかさを象徴しているような気がしてしまうのです。





posted by ayako at 00:35 | デリー 霧 | Comment(0) | TrackBack(1) | kerala

2005/08/13/

テレビはやっぱりおもしろい

何年か前まで、インドでテレビといえば
国営放送チャンネルのドゥールダルシャンだけだった気がします。

今、インドではどこに行ってもケーブルテレビが見られます。
平均して70チャンネルくらいでしょうか。

インドのチャンネルのみならず、MTV,VH1,CNN,BBC,Cartoon Channelなど、
さまざまなチャンネルを楽しむことができます。

デリーで滞在している家族とご飯を食べるときは、
大概みんなでテレビを見ながら食べるのですが、
ある日食事をしていると、ヨガ番組が始まりました。

インストラクターのまねをして思わずポーズをとってしまう私や子供たちに
「ヨガは食事の後三時間たってからやらないと無意味だ」
といっていた一家の主が、番組が終わるころには
自分も一緒にポーズをとっていたのには苦笑い。
テレビで見ると思わず真似をしてしまうヨガパワーは偉大です。

またある日は、聞いたことのある音楽が。
見ていると、クイズミリオネアが始まりました。
もちろん、インド人が出ているのですが、
賞金つきクイズ番組としての形式のみならず、
音楽も、セットも、ライフラインも、すべてが同じ。
ちなみに、日本ではみのもんたがやっている司会は
インドではあみだぶばっっちゃんという、国民的スターがやっています。
みのもんたより、ちょっと「ため」が甘いかな。
クイズは結構簡単なように思えました。
ヒンドゥー教関係のマニアックな問題になるとお手上げですが、
「インドで〜プラデシュという名前の州はいくつあるか?」
という問題は少し考えれば外国人の私でも分かります。
「次の国のうち、国連常任理事国でない国はどれか?」
という問題の答えは「日本」でした。

またある日、滞在先の子供が呼びにくるのでテレビを見に行くと
そこではあの「風雲たけし城」が。
噂には聞いていましたが、本当でした。
服装などに年代を感じますが、コンテンツとしては今でも十分楽しめて
やっぱり名作だったんだなあと実感。
インド人にも受けていて、日本人としてうれしい感じでした。

インドのお国柄がうかがえるCMも、テレビの楽しみのひとつです。
この前見ていて面白かったのは携帯電話のCM。
床屋さんで、携帯電話の着信音がなります。
「あれ?自分のかな?」と客が確認しますが違います。
それを見て店主が自分の携帯電話を確認しますが違います。
果たして誰の携帯電話?とみんなが疑問顔になったところで
「はい?もしもし?」と話し出す、チャイの出前屋。
わずかなお金で携帯電話が使えます!というCMですが
階層、というべきか階級というべきか、が
やはり厳然と存在するインドならではのCMに思えます。

CIMG6599.JPG
ハイデラバードで見た家電屋さん。
posted by ayako at 23:50 | デリー 霧 | Comment(0) | TrackBack(0) | about india

2005/08/09/

ハイデラバードには牛がいなかった!

今回で5回目のインドなのですが、
未踏だった南インドについにやってきました。

南インドはいいところだと聞いていました。
それを証明するように、北インドでであった旅人たちのなかで、
南インドから北上してきた人々はこぞって
「北インドはひどい!南インドはよかった!」
といいます。

最初の町はハイデラバード。
情報通信技術産業で、日本でも有名な都市です。

空港を降り立つと、さんさんと降り注ぐ太陽の下、
明るい緑が輝いています。
プリペイド・オートの切符を買って
オートリキシャに乗り込みます。

オートから見る街は今までに訪れたインドの都市より清潔にみえます。
CIMG6719.JPG
湖を望むベンチと風にそよぐやしの木。
さわやかー。


あれ...?
何か違和感が。


牛がいない。


清潔さと牛の有無はやっぱり比例しているのでしょうか。
そう考えるとちょっとさびしくもあります。

ただし、観光地としては南インドの他の町に後れを取っているせいか
今までに訪れた都市に比べ、ホテル環境はあまりいいようにおもえません。
安くてきれいなホテルがない。

南インドは人がいい、というのはどうでしょう。
これは今のところ、確かにそのとおりな感じがします。

話し掛けてくる人がほとんどいない。
「コニチハ」
「ヤスイヨ」
「ミルダケ」
三点セットは、ここに来て一度も聞いていません。

昨日の夕食は、屋台で焼きトウモロコシを買ったのですが
「いくら?」
と聞くと、トウモロコシを焼いていた少年が
「25ルピー」
といいます。
結構高いなー(6年前は3ルピーくらいだったので)と思っていると
その側でトウモロコシの皮をむいていたお父さんらしき人が
「ノーノー、5ルピー」
と、ちょっと怒って訂正しました。
少年は不服そうな顔をしていましたが、結局5ルピーに。

その他にも、このメッセージを書いているインターネット屋の
お兄さんたちは、どこに何がある、という質問に事細かに答えてくれるし、
日本語フォントをダウンロードするのにかかった時間は持ち時間から引いてくれるし、
当たり前のように考えられるかもしれませんが
北インドでは受けられなかった好意や善意をそこかしこで感じます。

昨日はホテルを決めた後、ネットカフェを探したり、銀行に行ったりして
それから街を歩きました。
目的は、法律関係の本を売っているお店を探すことだったのですが
無事たどり着き、初日で思いがけず目的の本を買うことができました。
ハイデラバードにくること事態が予定外だったので、おまけ的な資料なのですが
同じ事をするのにジャイプールでかかった苦労を考えると
あっけないくらいに簡単でした。

1時間くらい歩きましたが、ここでも、
同じような製品を売っているお店が集中している地域があります。
鍵屋街、ペンキ屋街、宝石屋街、そして本屋街に電化製品屋街が
昨日見た「街」でしょうか。
電化製品屋街では、インドで初めて、たくさんのテレビが並んで
映っている(ここが他と違う)、おなじみの電化製品屋の光景を見ました。

さて、アンドラ・プラデシュ州の公用語はテルグ語ですが、
イスラムの影響か、ウルドゥー語を話している人も多い気がします。
ウルドゥー語は、発音がヒンディーと似ているので少し聞き取れます。
表記はアラビア文字なので、町の看板には
テルグ語の丸々とした文字と、アラビア(ウルドゥー)語の流れるような文字が
併記されていたりします。
CIMG6706.JPG
アラビア文字とテルグ文字、郵便局で。
大都市向けの郵便は専用ポストに。
これは便利ですね。


イスラムといえば、ブルカをかぶっている女性を多く見かけます。
目だけを出して後は隠してしまうイスラムの女性の衣装です。
真っ黒なので、特に集団でいると、最初は何かと思うのですが
慣れてきて、間近で見ると黒地に黒糸で刺繍が施してあったりして、
民族衣装(?)の一つとしてけっこう美しいものだなとも思います。
CIMG6613.JPG
ブルカをかぶった女性。
存在感があるので目立ちますが、
人口比でいうとハイデラバードでもマイノリティだそうです。


美しいといえば、今回デリーからハイデラバードにくるのに使った
インドの国内航空会社、サハラ航空のフライトアテンダントの制服は
オレンジと青のサリーで、とても美しいものでした。
食事も食器もなかなかで、ケーララに行くときもサハラを使うので楽しみです。






posted by ayako at 13:52 | デリー 霧 | Comment(0) | TrackBack(1) | andhra pradesh (hyderabad)

2005/08/03/

会える...かも...

MR.Bを探して、昨日の午後、もう一度、官公庁をたずねました。

あの、高圧的な受け付けのおじさんにもう一度用紙を出すと、
「ふん」
と隣のカウンターをあごで指され、
そのカウンターにもう一度出すと、
ばん、ばん、とスタンプを押して半券が戻ってきました。

その半券をもって、改めて官公庁に潜入。
広い敷地内には多くのたてものが立ち並んでいます。
そして多くの人が行き交い、またそこここで立ち話をしています。
その人たちに片っ端から「○○庁はどこですか?」
とたずねてまわり、曇り空からぽつ、ぽつ、と雨が降り始めたころ、
ついに目的の省庁にたどり着きました。

しかしながら、建物に入ってはみたものの
受け付けらしきものはいっこうに見当たりません。
しょうがないのでまた、その辺を歩いている人に声をかけてみます。
「MR.Bを探しているのですが...」
しかし、その人は
「さあ?...」
困った顔をして立ち去ってしまいました。
次の人にも同じ質問をしますが反応はおなじ。
しかし、その人は私を小さなオフィスに連れていってくれました。
そこには一つのデスクとそれに座る少し偉そうな人、
そしてその前にはいくつか椅子が並び、
そこでは何人かがそれぞれ書類を手に、偉いひとの決裁を待っているようです。

その順番を無視して、私を連れてきてくれた人が
早口のヒンディーで事情を説明します。
隙をみつけて、私も事情を説明します。
ちょっと偉い人は、
「MR.Bが誰か、わからない。ここで働いているかどうかもわからない。
(名簿はないのか、という私の質問に答えて)名簿はない」
と言った後、何が欲しいのだ?と聞いてきました。

これこれこういうデータが欲しいのです。
といってみると、私を連れてきた人に、
ヒンディーで何か指図し、
「この人についていきなさい」とのこと。

早足でオフィスを出、次のオフィスに向かいます。
そこの人に早口で何かを聞いていますが、返事は芳しくないよう。
そこの人にいわれて、また次のオフィスへ行きます。
と、いうたらいまわしを何回か繰り返して、
最初のちょっと偉い人より、もうちょっと偉そうな人のところにたどり着きました。

今まで、インドの地方の官僚にあった経験からいうと、
日本から研究目的で来た、と告げたときの反応は二つに分かれます。
単純にいえば、
好意的なタイプ「おお、日本からわざわざ。何が欲しいの?チャイでもどう?」
そうでもないタイプ「用件は何?(面倒くさいな、外国人て。しかも学生か。)」
どちらにあたっても、目的の用件を果たせるとは限らないので、
そこにいきつく過程だけの違いなのですが。

ちなみに、もうちょっと偉そうな人は、後者でした。
ここぞとばかりに、名刺を差し出してみますが、効果なし。
私が欲しがっているデータを手に入れるには、これこれこういう手続きが必要、
ということを早口で捲し立てます。
聞き取れずに聞き返すと、だんだん苛立ってくる様子。
それでも食い下がって何度も聞き返した末にわかったことは
結局、無理、ということでした。

「それでは、政府刊行物を購入できる場所を知りませんか」
と、聞いてみます。
ジャイプールについてから、その辺の人に聞いて本屋を片っ端からめぐってみたのですが
そういうたぐいの物を売っている本屋を見つけられなかったためです。
そうすると、もうちょっと偉い人は、私を連れてきた人に何か指図し
「この人が教えます」
とのこと。

そして私はまた、その人についていき、
一番最初の、ちょっと偉そうな人のところに戻りました。
そこで、私を連れてきた(今や連れまわしてくれた、というべき)人が
ちょっと偉そうな人を含め、集まっている人々に
何かを聞いています。
そのうちの一人が、英語で、該当の本屋の住所を教えてくれました。
「この地図でいうとどのへんですか?」
と地図を広げると、みんながわっと覗き込みます。
そして、ペンでこの辺、いやこの辺、
と三個所くらい印をつけます。
「このうちのこれですか?これですか?これですか?」
と最終的にそのうちの一つであることを確認し、
「ありがとうございました」とお礼を言って
官公庁を辞したのでした。

有名なインドのレッドテープ(官僚主義)に触れて、
ぐったり。

その後、その本屋で、ほしかった本を発見。
意外と高いので一度銀行に行って、トラベラーズチェックを換金した後
また本屋に舞い戻って無事購入。
なぜか値引きしてくれました。
しかも、偶然、本屋が「風の宮殿」のすぐそばだったので
ジャイプールの観光名所を目にすることができました。

しかし、欲しいデータはまだまだそろっていません。
だからこそ、個人的に面識のあるMR.Bに会うことが大事なのです。

しかし、相変わらずMR.Bには会えず、連絡も取れません。
明日は、電話番号とともにもらった住所に直接行ってみよう、
と決めて、とりあえず、一日が終わりました。

一夜明けて。
ホテルの人に住所から、地図上の場所を教えてもらい
(念のため、違う人にも二回聞いてみて)
その住所が実在することを確かめた後、
朝一番でリクシャにのって出かけました。

出かけてみると、Mr.Bの単身赴任の仮住まいと思っていたその住所は、
一軒のたてものを、ある家族と、その家族とは関係のないNGOの事務所が
シェアして使っている場所のようでした。

スタッフに聞いてみると、MR.Bは確かに、事務所に所属しているとのこと。
ただし、今はジャイプールにいないとのことです。
そこで、スタッフがMR.Bの携帯電話にかけてくれました。
そうすると不思議なことに、私がいくらかけてもつながらなかった
彼の携帯につながるではありませんか。

結局、MR.Bは今日の夕方、ジャイプールに帰ってきて、
私と会ってくれることになりました。

ちなみに、もう一つの固定電話の方はこの事務所の電話だったのですが
数日前から故障しているとのこと。
そしてMR.Bは確かに公務員なのだが、今は休暇をとって
このNGOで働いているとのこと。

いろいろなことに、ちゃんと理由があるのでした。
というわけで、なんとか今日の夕方、MR.Bには会えそうです。
posted by ayako at 14:33 | デリー 霧 | Comment(2) | TrackBack(1) | rajasthan

2005/08/02/

会えない、会える、会えない、会える...

ジャイプールには、ティロニアで会った人に会いにきました。
ミスターBとしておきます。
ジャイプールで公務員をしているとのことなので、
ラジャスタンの州法に関する資料を紹介してもらうのが目的です。

「8月4日と5日は出かけていて、日曜日は家に帰っているけれど、
そのほかはジャイプールにいるのでいつでも来てください。協力しますよ。」

というメールをもらったのが先月の30日。
一刻も早く南下したいという気持ちもあり、
せっかくアドレスを交換した記憶が薄れないうちに、ともおもって
すぐにジャイプールにやってきたわけです。

...が。
やってきたとたん、ミスターBとの連絡が取れなくなってしまいました。
二つもらった電話番号(固定電話と携帯)はどちらもつながらず、
メールの返事も返ってきません。

ホテルの受け付けにある電話から、あまりにも頻繁に電話をかけ、
そしてつながらないので、ホテルの人も心配して
ああでもない、こうでもない、
番号を付け足してみたり、他の電話でかけてくれたりしたのですが
結局、固定電話のほうは誰も出ず、
携帯の方は圏外か電源が切れている状態がつづいています。

しょうがないので、直接たずねてみるべく、
ラジャスタン州の官公庁ビルに突撃しました。

ラジャスタン州の官公庁ビルといえば、
日本でいう県庁のようなもの、行けばどうにかなるのでは
と思ったのですが、甘かったようです。

規模の違いに加えて、インドは連邦制国家。
一つの州の官公庁といえば、一つの国の官公庁ほどの規模と意味合いを持ってきます。

観光地から外れた官公庁地区は、さすがにきれいに整備されていて、
そして警備も厳重でした。

ふらふらはいって行こうとすると呼び止められ、
「そこの受け付けで、チェックして、入構証をもらわないとだめです」
といわれて受け付けへ。

受け付け、といっても、人が群がるカウンターがあり、
その人々が手にしている派手な色の用紙がそこここに散らばっている
よく分からない場所でした。
壁にはヒンディー語で何かかいてありますが数字しかわからず。

多分、その紙に必要事項を記入して、カウンターに出すのだろう、
と当たりをつけ、用紙を取りに行くと、3種類くらいの記入用紙があります。
とりあえず一番持っている人が多い、はでなピンクの紙を一枚とりました。

用紙はとみると、これもまた全部ヒンディー語です。
「名前」と書いてあることくらいはわかるのですが
それが自分の名前なのか、訪問する相手の名前なのかといったことは
残念ながら私の語学力ではわかりません。

カウンターで何やら記入している、比較的身なりのよい人に
「これはどう書くのですか」とたずねてみました。
その人は、自分が書き込んでいた黄色の紙(これも派手)をいちまいくれて、
「ここにあなたの名前、ここにあなたの住所...」
と親切に教えてくれます。

書き込んで、人の少なそうなカウンターに出すと、
「あっちのカウンターにいって」
とたらいまわしに。

人込みをかきわけてようやくカウンターにアクセスすると、
「なに?どこに行くの?なにしにきたの?」
と、高圧的にかつ矢継ぎ早に質問され、しどろもどろになって答えると、
「2時以降にでなおしなさい」
とのこと。
「どうしてですか?」
と聞くと、
「ここにかいてあるでしょ。公用じゃない人は午後なの午後!」
といわれてしまいました。
壁に書きなぐってあるヒンディー語の内容がようやくわかりました。
(でも、2;30-4;00と書いてあるのだけれど...)

と、いうわけで、いったん退散。
もう一度、電話してみるもやはりつながらず。

これから出直します。
ああ、官公庁ビルには無事に入れるでしょうか。
入れたとして、ミスターBには会えるのでしょうか。
ミスターBに会えなくても、どうにか資料を手に入れられるでしょうか...

posted by ayako at 17:19 | デリー 霧 | Comment(0) | TrackBack(0) | rajasthan

2005/08/01/

ジャイプールを歩いた!

いったんデリーに戻って、再びシャタブディに乗り、
今度はジャイプールにやってきました。

首都デリー、タージマハルで有名なアーグラー、そしてこのジャイプールは
観光の黄金の三角地帯らしいです。

有名なのは、「風の宮殿」ことハワール・マハル。
同じラジャスタン州のジョドプールがブルー・シティー、
ジャイサルメールがゴールデン・シティーと呼ばれるのに並び、
ここジャイプールはピンク・シティーと呼ばれているそうです。

...が。
私が滞在しているホテル(その名も「アチチホテル」)周辺だけなのか、
いわゆる観光地、という雰囲気ではありません。
城壁に囲まれた旧市街から離れているせいかと、
夕方、日が傾いたころに散歩に出かけてみました。
とりあえず、マクドナルドを目指して。

これが、予想外に大規模な散歩になりました。
先週まで滞在していたプシュカルと違い、
ジャイプールはさすが州都。
かなり大きな規模の町のようです。

とりあえずマクドナルドにたどり着き、
セットを頼んでコーラで喉を潤し、
さらに歩いて州政府経営のお土産物屋さんを覗き、
そして城壁内部に少しだけ潜入して
小さい商店が大量に並ぶバザールを冷やかし、
帰り道には大通りに面した寂れたアンティークショップを発見したりして
都合一時間ほど歩いたでしょうか。

何も考えずビーチサンダル引っかけて出発したのですが
軽く鼻緒ずれができそうになってしまったのでした。

明日明後日、調査の方がうまく進めば
最終日はビーサンでは入れないようなお店にもちょっとはいってみて
商業都市ジャイプールで買い物なんてできたらいいな。

(ちなみに、まさに今、モンスーン期の始まりは、バーゲン期の始まりでもあるそうです。
いたるところに○○%オフ!の垂れ幕がかかり、インド人たちも買い物に大忙し!)
posted by ayako at 23:53 | デリー 霧 | Comment(0) | TrackBack(0) | rajasthan

2005/07/29/

さようなら、プシュカール!

約一週間滞在したプシュカールにも今日でお別れです。

途中、アジメールに滞在したり、ティロニアに行ったり、
プシュカールには出たり入ったりでしたが
それでも、普通、旅行者が二、三日しか滞在しないような小さな町に
一週間も滞在すると、すこし、親近感を持つようになりました。

突然の雨に困っている私を、店に招き入れ、
商品を薦めることもなく、雨宿りさせてくれた
服屋の人がいたり。

大きな荷物を担いでバススタンドへの道を行く私を見て
(今いるネットカフェはその途中。)
「もう出て行くのか、また会おう(フィル・ミレンゲー)」
と声をかけてくれる、よく利用した電話屋のおじさんがいたり。

知らない町に長く滞在するということは、
本来、旅の中で通り過ぎていく風景の一部である人々にも、
毎日の決まった生活パターンがあって、
人間関係があって、そこから生まれる
些細な喜怒哀楽があるのだということを
実感することにつながります。

初めて訪れ、一週間しか滞在しなかったこの町に、
自分が見ているのとは違う顔があるというのは
想像しづらいことですが、たとえば、
らくだ市が開かれる秋になれば、この小さな町には
収容しきれないほどの旅行者が訪れると聞いています。

三日ほど前から、日中、夕暮れ時に短い雨が降るようになったのですが
それさえも、それまでとは違った色合いを、町全体に与えています。

もし、いつかこの町を訪れるとしたら、
その時どんな変化があるのでしょう。

ばいばいプシュカール、また来る日まで。

posted by ayako at 18:21 | デリー 霧 | Comment(0) | TrackBack(0) | rajasthan

2005/07/26/

インドの村は遠かった!

もう三日前のことになりますが、
Tilonia(ティロニア)という村を訪れました。

NGOグループの手工芸品売り場があることから
ロンリープラネットにも紹介されていて、
アジメールからは52キロとあります。

まず、アジメールからバスに乗って
Kishangarh(キッシャンガール)という町に向かいます。
そこからまたバス(あるいはジープ)に乗って
ティロニア村へ。

キッシャンガールのバスターミナルに着いたのが
アジメールを出て一時間後の12時50分。
「ティロニア村行きのバスはない、ジープに乗れ」
と言われて、ジープに乗り込みました。
「何時に出るの?」と聞くと
「13時に出る」とのこと。

ところが、13時を過ぎ13時10分を過ぎても
ジープが出発する気配は一向にありません。
「いつ出発するの?」と聞くと
「満員になったら」とのこと。

と、言われた時点で、私にしてみれば
ジープは結構満員でした。
前部席(運転席+助手席。多分本来多くても3人がけ)にすでに4人、
多く見て片側4人掛け座席が二列並んでいる荷台部にも
8人の客がしっかり乗っています。

それでも、運転手は客を待ち続け、
最終的にキッシャンガールを出発したのは13時50分。
最初の客だった私は、実に満席になるまで一時間も待ち続けたのでした。

ところが!これはまだまだ満席ではなかった。
すでに満席であるはずのジープの運転手は、
出発後もさらに、行き先を叫びながら客を募っていきます。
もっと驚くのは、どう見ても、これ以上乗らないジープに、
実際に道中何人も新たな客が乗ってくることです。
運転席には6人が座り、後部座席は片側5人、そして
荷台の幌の上に、多分4人。

感心するのは、新しく乗ってくるのがたとえば老夫婦だった場合、
座席にいる若い男たちが幌に上り、老夫婦に席を譲っていること。
めちゃくちゃなようにみえて、しっかりとした秩序が保たれています。
(この場合、それがなかったら人命にかかわる可能性もあるし。)

そしてジープは町を離れ、ところどころ潅木のある
砂漠の中の一本道を進んでいきます。

乗客は一人、また一人と、私には見えない目印にしたがって降りて行き、
ジープが本来の意味での満席状態に戻ったように見えたとき、
私の目的地のティロニア村に着きました。

線路脇で下ろされた私は、正直途方にくれました。
私が訪ねるべき施設は、とても大きく、設備が整っている
と聞いていたのに、それらしき建物は全く見えないからです。

同じ場所で降りた、キッシャンガールで大学に行っているという若者が
この道をまっすぐ行け、と荒野に伸びる唯一の舗装道路を指差しました。
「何キロくらい?」
と一応聞いてみます。
「1キロくらい」
とのこと。

歩幅が50センチとして、2000歩。
1,2,3,4...と、炎天下、呪文のように歩数を数えながら
私は歩き出しました。

CIMG6337.JPG
行く手には、羊の群れが通せんぼ。




posted by ayako at 16:43 | デリー 霧 | Comment(2) | TrackBack(0) | rajasthan

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